【6】
3ヶ月先を想定していた。
3ヶ月先にあたしの……あたし達のターニングポイントが訪れると見計らっていた。それが、どうして?
《ミネルバ》で、あたしの船室で、ジョウからいきなりの激しい口づけ。スティーブとミシェルの残像と重なる、深くて、とろけそうで、目眩がするほど、深い。
彼の胸に封じ込められて、むき出しの肩や腕に、アートフラッシュが当たって障る。大きな片手に後頭部は押さえ込まれ、もう片腕に腰をがっちりホールドされて振りほどけない。
武器庫での一件から2ヶ月ほど、彼があたしをどうしたいかは気づいていたし、少しずつ心の準備もできていた。だから怖くはない。
ただ、衝動的に流されて、身体が結ばれることに不安が過ぎる。心がちゃんと向き合って、お互いが求め合っているのか、確かめてからでないと最後の踏ん切りがつかない。
バージンは面倒くさいと思われる?正直そんな不安も過ぎるけど、そうなったらこちらから願い下げ、と彼をあと一度だけ試させて欲しい。
許してしまったら、どんどんジョウに溺れていく自分が見えるから。盲目的になりかねない危険も孕んでいるから。
だからこそ今、最後の一線を前に、彼と心を確かめ合いたい。
船室のドアからベッドへ、そのまま直行してはいけない。初めは単に直感だったけど、彼の攻めに持ちこたえていくうち、あたしの頭が機能してきた。純潔と決別する前だからこそ、あやふやではいけないと思った。
「っ……、う、、、……」
口の中が狭い。二枚舌状態での発声がこんなに難しいなんて。
力では勝てない。どうすれば彼を一旦諫められるんだろう。歯を立てたり、膝を蹴り上げて、険悪なムードに転ずるのは嫌。そう模索しながらも時間がない。
早くしないとジョウの欲求に根負けそう。
そこで少しでも隙間を空けようと、しなをつくってみる。身体をくねらせてみる。
やがて、はあ、とジョウが新鮮な空気をいっぱいに取り込む。あたしもやっと息継ぎできた…のは、つかの間。
「あ…、…んっ」
喘ぎ声しか出せない。身体が勝手にびくびくと反応して、淫らな痺れが、浴びるように降りてくる。彼がもうキスだけじゃ物足りなくなったようで、耳たぶや首筋を唇で濡らしはじめた。
好きな人からの仕打ちだから?バージンなのに、身体の芯が火照り、どうしようもないほどよがるのが分かる。どうしよう…すごく気持ちいい。
けど、だめ。
このままセックスに運ばれたら最後、もう彼を試す術をもたない。あたしは縛り付けられたまま、身じろぎした。
ふと、肘から先の両手が空いてることに気づく。彼のペースで運ばれないために、しがみつこうとする。最初はあたし達の胸の間に、両腕をもぐりこませようとした。
すぐ無理だと諦める。
彼の締めつけが尋常じゃない。
あとはどこ?一触で彼をひるませるには?
あたしはすぐ動いた。頭で考えてからでなく、両腕が勝手に反応した。
「―――あっ」
ジョウが、びくんと大きく身震いした。そして腰をわずかに捻る。
「アルフィン…」
きみがこんなことを?ごくりと息を呑んで、そんな声が聞こえてきそうな切迫した眼差しを向けられた。
あたしはただ、彼にしがみつこうとしただけ。たまたま手の位置が、そことの引っかかり具合が良かった。
「こら…尻に触るな」
いま腰の辺りが敏感だから、とあたしの耳元でこそっと打ち明けた後、じわりと頬を赤らめた。
このリアクション、いつものジョウに戻ってる。調子を狂わされたのもあってか、抱く力がするっと抜け落ちた。
あたしも両手を引く。思わず触れてしまったけど、引き締まって上がり気味の部位は、女性とは根本的に造りが違うと思った。
性急だった流れが穏やかになる。感情がやっと追いついてきて、
落ち着いてどきどき感に身を浸せた。
両手に残された感触、そして初めて耳にした彼の喘ぎ。エロティックな要素に、あたしは浸食されていく。
一瞬だったけど、ジョウが見せた悩ましさ。
どうしよう。もっと知りたい欲が湧いてきた。
けど、まだ、だめ。
あたしは振り切るように、この間を利用することに集中する。
おでこを彼の胸に押しつけて呟いた。
「…だって突然なんだもん」
「最近は…頻繁、、、な方だろ」
「ううん。今みたく凄いのは、ない」
「凄いって」
ジョウの声に照れが混じる。
すると謝罪なのか慰めなのか、彼の手のひらが金髪の後頭部を撫でてくれた。このまま終焉するなら、黙っていれば自然とそうなる。けどそれは望むことじゃない。あたしは彼と心を先に確認し合えればいい。
後はどうなっても。
「このまま襲われちゃうのかと思った」
と、本音を伝えた。
「襲う…、ってなあ」
「一方的だし、強引なんだもん」
「……、…すまない」
彼の両腕が柔らかく、あたしの腰の後ろに回される。宝物を扱うような大事な手つきで抱擁してくれた。
あたしも彼の背中に手を回す。安心して身を預けると、クラッシュジャケットの繊維を縫って届く、足早な鼓動に耳を傾けた。
「…アルフィン」
「なあに」
「ひとつだけ分かって欲しいことがある」
「うん?」
「手荒に感じさせたことは、謝る。ただ俺は、きみを乱暴に扱うつもりは絶対にない」
「それは分かってる。ただちょっと、びっくりしただけ」
「なら、いい」
「どうしたの? 何かあった?」
あたしは彼の胸に横顔を押しつけたままで聞く。面と向かってだと、ジョウは気恥ずかしさに負けて口をつぐむ気がしたから。
「あったというか…。その、ノザークとGTにちょいとばかしプッシュされた」
「逢ったの? いつ」
「ワッチの時間にダブル回線が入ったんだ。それで少しばかり説教をくらった」
つまり彼は、当直後そのままあたしの船室に直行したのだと理解する。
「ボーイズ・トークじゃなく?」
「説教だな、あれは」
頭上で彼が苦笑するのを察した。
ノザークとGTはジョウの幼なじみで、ルーとも同期。つまりクラッシャー養成学校時代の腐れ縁。
あたしはノザークと一度だけ面識があった。複雑な生い立ちの影響らしく、言葉に訛りなのかスラングなのか、独特の語り口調を覚えている。
けど明るくて、ひょうきんな面も伺えて悪い心証はない。
GTとは回線でもお目にかかったことがない。ただ噂では相当の美青年と聞く。神秘的、ナルシスト、エゴイズム等々。彼を評する単語は、褒めから嫌みまで両極端なものが多い。
そもそもGT自体ニックネームだそうで、生活感のない不思議な青年が、ジョウと気が合うというのもミラクルな気がしていた。
「どんなお説教?」
男同士の密会を果たして明かすかしら?と、駄目元で突いてみた。
「要するに、稼業を侮るな、とね」
「仕事の話?」
思わず顔を上げてしまう。がっかり、とか、なあんだという肩すかしの反動で、ジョウに再度確認してしまった。
だけど変。
それが何故、あたしへのアプローチにつながったんだろう?
彼は見下ろすと、ふっと笑いかけてくれた。何か含みがありそう。こちらからも、じっと見つめ返してみる。
「分かりきったことだが、俺達の仕事は危険と隣り合わせだ」
「ええ」
「端からしくじるつもりは毛頭無いが、いつ、いかなることが起こるか分からない」
「そうね」
「だから、その…だな」
突如、歯切れが悪くなる。多分そこが彼の核心。
だからあたしは黙って待つ。
「あいつらの、とどのつまりは」
「……」
ジョウは逡巡してから、どうとでもなれという様子で吐き出した。
「アルフィンを抱かないと、後悔する」
「えっ」
「未練たらたらで、宇宙の塵にもならん、と」
「ちょ、ちょっとお……」
全身の血が、いきなり沸点に達した。熱い。恥ずかしい。
あたしは彼から目線を外し、俯いた。