【7】
男なんてのは、寄ってたかれば下らないことしか話さない人種なんだ。ジョウだって例外じゃあない。オブラートに包まれっぱなしの、元王女さまの碧眼じゃ、無理かもしれないがね。
昔、ルーの姉、クラッシャーダーナに言われた言葉を思い出す。
あたしはジョウを美化したつもりはない。ただ16年間の人生で、彼のような男の人は初めてだったのは事実。その意味合いを、世間知らずな小娘の戯言として、ダーナに受け取られたことがもどかしかった。
それから一年余り、彼と行動してますます惹かれてきた。クラッシャーとしての能力は当然だけど、彼なりの道理というか、一家言があるところに魅せられる。
『屁理屈だって理屈のうち』
『半人前だろうが何だろうが、俺は俺のやり方でいく』
こんな無茶苦茶で、芯が図太い男の人は、過去にあたしの周りにはいなかった。
だけど。
なんだろう。
あたしは軽いショックを感じていた。
落胆。そう、ジョウに初めてがっかりしている。
幼なじみと不謹慎な会話をしていたからじゃない。危険なクラッシャー稼業だから、《後悔しないためにあたしを抱きたい》、そういう発想でここに訪れた彼に、幻滅を感じた。
あたしに触れるとき、いつも生命力や躍動感を滾らせてきた彼が、そんな後ろ向きな動機で、簡単に行動へと導かれてしまうなんて。
なんだか,弱腰の慰めものにでもされそうな、哀しい気分がひたひたと胸を満たし始めた。
「アルフィン?」
「…あ、ううん。なんでも、ない」
自然と、あたしの身体は彼から退いていく。腰に腕を回されているから、それ以上は逃げられないのだけど。
彼の胸のあたりに両手を置いて、少し、距離を保った。
「…不満そうだな」
「ふ、普通なんじゃない? ボーイズ・トークなら」
「妙だ」
「え?」
「いま、俺を遠ざけた」
ばれていた。
これ以上の弁解ができなくて、下唇をきゅっと噛む。
するとジョウの方が珍しく、言葉を畳みかけてきた。
「勘違いしないで欲しい。あいつらにふっかけられたから、きみに迫った訳じゃない」
あたしの考えてること、そのど真ん中を言い当てられた。
せり上がってきた哀しい気持ちが、ぴたりとそのままの水位で止まる。どういうこと?
ジョウの言葉をもっと聞きたい。
「仮に今ぶっ殺されても、悔やみたくない。そうやって今を精一杯生きることにポリシーを持ってるのがあいつらだ。だが俺は、それを聞いて、逆に思ったよ」
逆?あたしは眼差しだけで、彼にそう問う。
するとジョウは、目元を柔らかく細めてあたしを見下ろす。
「俺は、もっと未練にまみれたい」
「…………」
「簡単にくたばってたまるか。とことん、往生際の悪い人間でいたい」
「ジョウ」
「勿論、きみも道連れさ、アルフィン」
「あ、たし?」
彼は右手をあたしの方に伸ばす。頬に触れ、輪郭をなぞってから髪に触れ、つぶさに愛おしんでくれている。そして見つめてくれる瞳が、日だまりのように温かで優しい。
「俺は、宗教もまじないも信じない。まあ超常現象やエスパーの存在だけは認めても、そんなもんに頼る気はさらさらない」
彼は人差し指と中指に、金髪をひと房挟む。
ゆっくりと梳くように、毛先までするりと撫でつけた。
「ただ、これだけは断言できる。俺は、この先どこで何が起ころうと、きみの元に還る。腕一本吹っ飛ばされようが、腹を撃ち抜かれようが、アルフィンへの未練をたぐって俺は還る。だからーーー」
「だから?」
「きみにも、そうあって欲しい」
「ジョウに、未練、、、」
ごくりと息を呑む。
思いもしない話の急展開で、けれど、あたしの望む方向への展開で胸がざわつく。
「この先、俺がそばで守れないこともあるだろ?」
「…ん」
「クライアントを優先することだって」
一瞬、ジョウは苦い表情をつくった。気づいたけど口にせず、今は胸にしまって、彼の告白をまずは受け入れる。
「そう…ね」
「自分の身は自分で守る。クラッシャーである限りそれは鉄則だ。でも俺は、離れている時も、守れない時も、こうやってさーーー」
と、語尾をふっと含むと、代わりにあたしを背中から丸ごと抱きしめた。
「無事だったな、とアルフィンと確かめ合いたい。だから俺は還る。きみも還る。どんなことがあってもお互い、がむしゃらに還るんだ」
ジョウの言う未練。それは形のない護符ようで、あたしを心強くさせる。そして彼からほとばしる、あたしへの熱い想い。
いつからそんな風に想っててくれてたの?
訊きたい。
けど声にしたら多分、あたしから彼への想いが堰を切ってしまう。
さっきの水位で止まった、哀しい気持ち。ジョウの言葉を受けて、温度を上げ、
色を変え、別物となってあたしの胸の中で渦巻き始めた。
それがもう、実は溢れそうになってる。
よかった抱き合えて。表情を読まれなくて済むから…。
「断ち切れない未練ってやつを、俺は共有したいんだ。これも身勝手かな?」
「ううん。言ってる意味、分かる」
ぎゅっとしがみついた。一旦平常に戻った彼の鼓動が、またとくとくと早く刻み始めたのを耳朶で知る。
あたしはまた、小さな失敗を犯した。彼の言動をまたもネガティブに解釈して、勝手に幻滅しての繰り返し。けどもうお終いにする。
もう彼を詮索や試すことも、怯える必要も無い。
心が定まった。
ゆっくり面を上げると、漆黒の瞳と、碧眼の照準が、阿吽の呼吸で重なる。
「じゃあジョウ? 死んでも死にきれない未練をお望み?」
「大歓迎」
「だったらあたし達、何もない方がいいわね」
「え…っ」
言葉に詰まる彼。それを奥底で面白がるあたしがいる。
「全部知ったら、きっと飽きるもん」
「ば、馬鹿」
そんな殺生な、とでも言いたげな顔。これが銀河一の名を欲しいままにしている彼かしら?ギャップにお腹を抱えて転げそう。
「勝ち気でわがまま、その上ここまで底意地が悪いとはな」
「ひどい。言ってくれるわねえ」
「懲らしめてやりたいよ」
「……どうやって?」
あたしのなじりにジョウは、むすっと口元をへの字に曲げる。時々こんな風に子供じみた面を露骨に出す。それがまた嬉しい。
ややあって、彼は観念したように苦笑した。射るような目つきであたしの視線を捕らえると
「こうやって」
と吸い込まれるように距離を狭めてくる。
彼にしては巧い辻褄合わせ。だからもう、はぐらかしたりなんかしない。真正面から懲らしめを受け止めることにした。
ところがジョウの方が、少しばかり意地悪だった。
最初は鼻の頭。それから左の瞼、右の頬。やっと唇に触れてくれた、と思ったら…それは彼の親指の腹。
随分と間合いを計る。
そっちがその気なら、と。あたしは仕返しを仕掛けた。不意に唇を開け、ころんと彼の指先を口の中へ落とす。
「あ」
ジョウの肩口が跳ね、息を呑む。
人目を忍んでスキンシップを重ねるようになってから、彼は以前のようにチタニウム繊維の手袋をしっぱなしにしない。対象であるあたしへの配慮と、感触を楽しみたい自分へのご褒美に。
そこへつけ込んだあたし。
舌だけで奥へ誘って、柔らかく包み込んでみせる。
ジョウの眼差しが、湖面の一葉みたいに、心許なく揺れている。そして頬のあたりがぴくりと震える。表情がだんだんと曇り、理性がどれほど危なっかしい状態かを物語る。
36度ちょっとの温かい痺れが、毒のように全身を駆け巡ったようで、あたしは小気味良くなった。
「こういうこと…するんだな」
ようやっと、という感じで吐き出された低い声。
そういう彼だって意外な所がたくさん。頑丈な体躯のくせして、あちこちに敏感な秘孔を隠している。
「こんな面、知らなかった」
そんな感想を持たれても、さあ?、としらばっくれるように小首をかしげる。そしてつるりと舌先で、彼の指を出して返した。
ジョウは、濡れた右の親指をみつめながら
「飽きるどころか、俺は…」
喉を震わせて、思い詰めるような口調。
「教えて? 続き」
「思い知らせてやるさ」
濡らした親指を、張本人であるあたしの下唇に当てる。少しだけ力を入れて、半開きにするようめくった。
「身体にな」
彼の声は辺りの空気に圧されるほど、か細く、掠れてたなびいた。どれほど、からからに渇いているかが分かる。
この先の口づけから、あたし達はもう、元に戻れなくなる。
お互いに芯から熔けて、混ざり合って、あたしと彼の境目が分からなくなるほどひとつになる。
ジョウの瞳の奥には、決意めいた光が宿っていた。離せない、逸らせない。あたしは無抵抗のまま、誘われていく。
彼の両腕にすっぽり埋もれて、あたしの両手はがっしりした腰のベルトにかろうじて引っかけて、あとはもうその先を待った。
するとジョウは、黒い睫毛を伏せがちにして、迎えに来てくれた。
軽く顔を傾け、鼻先をすれ違わせると、相手の心まで探ろうとする挙措で唇を触れあわせた。
触れあったらもう、彼のペースに一気に掠われてた。
船室に入ってきた時のやり方と全然違う。受け入れるばかりじゃない、とジョウが教えてくれた。
これって、ストローキス…?
吸い込まれて、彼の口腔にこっちが引きずられていく。男の人って聞いた通り、女より平均体温が違う。彼の中は、熔け落ちるほどに熱い。
そしてもう枷を外したジョウは、仕事の時のような、どんな場面でも腹の底で冷静さを失わない頑なさ、眈々と伺う有り様も見せない。
ただ一人の青年として、恋人として、あたしを夢中で貪る。
彼の口づけを通して、黒髪を掻き抱きながら、色んなことを思い知らされる。身体に刻み込まれていく。
チームリーダーらしく、クラッシャーの誇り、クルーの命や人生をも一身に背負って、どんな状況下でも綽々と憎まれ口を叩ける彼。何事にも平伏さない彼。まっすぐで、迷いがない、あたしの憧景。
けれど奥底に、こんな秘密をひた隠しにしていた。彼の唇、その奥にある全部を絡め合って、初めて知った。
ジョウは内面に、そのとても深い場所に、猛々しい情念の獣を飼っていた。
迂闊に触れたら深手を負うのは確実で、時々その牙は彼自身に向けられていたのだと知った。
獰猛で、容赦なく、強欲。その獣は一切の獲物を与えられず、満たされた記憶もなく這いずり回っていた。そう彼自身も飼い慣らすことができず、ただ力でねじ伏せるやり方だけでずっと抑え込んできた。
そして今、獣の手綱を握る必要がなくなった。
鋭い牙と爪が、積年の獲物を仕留める。それが、あたし。触れた部分から、音を立てて食べられていく感じがする。
彼の方に行ってしまった舌を、たぐり寄せることができない。一滴、また一滴と掬い取られ、渇ききった獣の喉が潤っていく。
そして無防備なカットソーの裾からは、荒っぽい手つきで右手が差し込まれ、ホットパンツと太腿の境界線は、左の指達がじれったそうに往復する。
ジョウがずっと耐えてきたもの。
あたしを気遣い、壊さないために、たった一人で隠し続けてきた獣。
その狂おしいくらいの激情に、あたしは胸が苦しくなるくらい嬉しかった。ジョウがどれほど、焦がれて、気が変になるくらい、求めてくれていたのか。
全身で分かった。
あたしは、なんて怖いくらいに幸せ者なんだろう。
夢見心地で、もう足腰に力が入らなくて、腕だけで彼にしゃにむにしがみつく。
すると何かを察した彼が、やっと舌と唇をあたしに返してくれた。
口の中に納める。
けどジョウの熱をたっぷり含んで、戻ってもあたしの物じゃないみたいに感じた。
「…大丈夫か?」
軽く息を弾ませて、問いかけてきた。
あなたの方がよっぽどもう、大丈夫じゃないでしょ、と。甘い呪いを込めて、彼を上目遣いで見返す。すると。
「その目」
「…なに?」
「そんな目で見るなよ。俺…もう…、、、」
視線から逃れるようにジョウは、頬ずりしてきた。あたしのおでこ、頬、そして金髪に。最後の最後、彼なりに一線の際で、もがき苦しむみたいに耐えている。
たぶんそれは、あたしへの配慮。
言葉とムードでここまで押してきたけれど、本当に最後、いいのか?と問いかけているのが分かる。
なんて優しい。
ずっとひたひたに溜めてきた彼への想い。たった一滴の滴りが、ついに全てを溢れさせた。ぽろぽろと、目頭から転がっていく。
あったかい涙。
この人を慕って故郷を捨てて、たった一人で密航して、それから一年余り。仕事でも女としても認めてもらいたくて、一途に賭けてきた。嫌われてはいないと感じていても、特別かどうかがずっと分からなくて。
不安で、ちょっぴり淋しくて、けど諦められなくて、今日まできた。
その長かった時間が走馬燈のように巡る。
ジョウに抱かれて、長かった一人旅の終わりが見えた。しかもそれだけでなく、あたし以上に、苦しむほど愛してくれていたことも分かって、切なくて泣けてくる。
「アルフィン?」
はっとして、真正面の彼を見た。心配そうな顔。片っぽの頬が、あたしの涙で濡れていた。
「哀しいんじゃないの」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、あたしは笑顔をつくる。
「無理、するな」
囁くように、宥めるように、言葉を尽くしてくれる。
またあたしは泣きたいくらい嬉しくなって、唇をきゅっと結ぶ。ジョウに変な心配をかけたくなくて、懸命に首を振った。
そして勇気を出して声を張る。
「お願い、ジョウ」
不安そうな面で、彼はあたしをまっすぐ捉えてくれる。
「つれてって」
彼の上腕にひっかかる、あたしの右手と左手、それぞれに力を込めた。漆黒の瞳を覗き込みながら、そこに映る景色を、あたし色だけに染めてしまいたい。そんな最上級のわがままを彼に突きつけた。
「つれてって……あたしのベッドへ」
《Fin》