【10】
ピグミー大学の、森林再生技術は実に素晴らしい。伸びきった大木、生い茂る雑草、じっとりと湿りぬかるむ大地。このジャングルがかつて火山地帯だとは、誰も想像しないだろう。
だがその有り難い技術は、今のジョウにとっては厄介だった。
ジル救出に動き出してから、もう2時間は経つ。
エウーダの気配、鳴き声が、時折ジョウの耳朶を打った。どんどん森の奥へと向かっているのが分かる。ただ、木々に反響していまひとつ確かな方角が分からない。
しかし右往左往しながらも、ジョウの足は確実にエウーダへと向かっていた。研ぎ澄まされた感覚が、じりじりと標的を追いつめていく。
「……!」
ふいに聞こえた。微かだが間違いない。
ジルの泣き声だ。
「いいぞ!」
やはりジルはエウーダに捕らえられていた。
大人達が話しに白熱している間、ジルは好奇心にくすぐられて、ふらりと雑木林に足を踏み入れた。奥へ、そのまた奥へ。降り注ぐ陽光が遮られ、辺りは薄暗いというのに。ジルは怯える様子もなく、どんどん歩を進めていった。
そこで出くわした。丸一週間、腹を空かせたままのエウーダに。エウーダはジルを捕らえたものの、その場で食いちぎることをしなかった。理由はただひとつ。住処で子供達が待っている。エウーダの母性による強硬手段だった。
ジルを追うジョウは、そんなことを知るよしもなかった。
ただ一心にジルを救う。それだけだ。
そしてジルの鳴き声が徐々に大きく届いてくる。近い。ジョウは右手に掴んだ電磁メスに、スイッチをいれた。身構えながら大股で歩を進めていく。
行く手を阻んでいた大木が、突然途切れた。丸い緑の絨毯を敷いたような場所。左方には山肌が見える。洞窟になっていた。ジルの鳴き声の発信源はそこだ。
まずい。ジョウは直感した。ここがエウーダの住処だ。ジルが獲物にされるのも時間の問題となる。ジョウは賭けた。洞窟に飛び込み、騒ぎ立てた。
「エウーダ!」
人間の声を発することで、危機感を与える。邪魔者がいる場所では、ゆっくりと獲物をはむことはできない。
ぎい。
応えた。ジョウは洞窟の外に誘い出すことにする。暗闇では明らかにこっちが不利だ。手当たり次第に岩の欠片を洞窟へと投げ込む。いくつかはエウーダにヒットした。感触でそれが分かる。
「さあ! 出てこいよ」
緑の絨毯のど真ん中で、ジョウは洞窟を凝視する。
来る。
空気が動き、獣特有の匂いが辺りに広がりだした。
尖った2つの頭部が、四つん這いになって出てくる。それぞれの頭部にある単眼が、真っ赤に染まっていた。学識がなくても分かる。エウーダは興奮状態にあった。
立ち上がる。3メートルどころではなかった。目測でタロスの2倍。かなりの大物である。
ジョウの背中に冷たいものが走った。
だらりと下がった腕の先には、鍬のように長い爪。片腕ずつ6本。あの鋭い爪先では、柔らかなジルの肌などひと突きだ。
「俺の方が、獲物としちゃでかいぜ」
極限の飢餓状態から、エウーダは人間への恐怖を忘れていた。別の獲物が自らかかってきた。そう本能がエウーダをそそのかす。
ぎいいいいいい。
ガラスを掻くような嫌な鳴き声に変わった。長い腕がしなる。ジョウは背後に跳び去った。鼻先で空を切る。遠心力で腕が伸びる仕組みらしい。
難しい。懐に飛び込むタイミングを読みづらい。電磁メスでは接戦しか戦術がない。
「ちっ!」
凶器である両腕をエウーダが振り回し始めた。ジョウはそれを間髪で避ける。エウーダが疲れるまで粘るか。それとも一気に始末にかかるか。ジョウはエウーダの攻撃をかわしながら錯綜する。
エウーダの腕が巨木に当たる。一瞬にして内層までえぐられた。飛び道具として、ジョウは足場に転がる岩の欠片を次々と投げつける。ダメージにはならないが、完全に気をジョウに向けることは可能だ。洞窟へ逃げ込むことだけは、決してさせない。
だがエウーダはわずかに知能があった。ジョウの飛び道具から、新たなことを学んだ。ごろりと石塊を両手で捕まえる。ジョウの頭より三回りも大きい。それを投げた。
「痛ってぇ!」
大木に当たり石塊が砕け散る。直撃でなくても、その破片が四方に散らばりジョウに命中する。怪力の成せる業だ。この攻撃に味をしめ、エウーダは片っ端から投げつけてくる。
「くそったれ!」
ジョウは苦戦した。
しかし、それが功を奏す。辺りに石塊がなくなると、エウーダは探す挙動を見せた。ふとした瞬間、背中をジョウに見せた。チャンス。電磁メスの刃を下に持ち替え、両手で握り締める。屈んだエウーダの背に頭上から振り下ろした。
ぎいいいいいいい!
跳ねとばされた。背中からジョウは大地に叩きつけられる。電磁メスは離さなかった。見れば、エウーダの左肩の付け根から、緑色の血が溢れた。
致命傷ではない。しかし怯ませるには充分な痛手だ。
身をよじりながら、エウーダはジョウに接近してくる。とどめはのど笛。懐に飛び込み、一気に勝負をつける。
が、それができなかった。
エウーダの太い足の間から、何かが動いているのが見えた。
洞窟から這い出たジルだ。背後から、ジルと大きさの変わらない小さなエウーダが二匹。きいきい泣きながら追っている。
「まー!まー!」
ジルはアルフィンを呼んでいた。
そしてエウーダは親子だとジョウは知った。