【14】
巨木の幹で、ジョウはジルを抱いたまま休んでいた。しかし一睡もしていない。
薄いシャツから伝わるジルの体温、鼓動、安らかな寝息。ジョウの顔が自然とほころんでいく。
天空を仰ぐと、枝葉の隙間から空の色が変わり始めたのが分かる。まもなく夜が明ける。その色の変化を見渡し、ジョウはどこから朝日が昇るのか把握できた。
「そろそろ動くか」
身体が軋んだ。背中の皮膚がひきつれて激痛が走る。
出血は完全に止まったが、皮膚の内側はぐずぐずと柔らかい。けれどもジョウにしてみれば、大したことではなかった。ジルの存在が、ジョウの根底から気力をみなぎらせる。
アルフィンの元へ戻ってみせる。その決意がさらに高ぶった。
「ジル、マムの所へ帰るぞ」
巨木に引き寄せておいた蔓を、手でたぐり寄せる。そしてジルを肩に負ったまま、ジョウの片手は蔓を掴み、木のうろなどのでこぼこを足で探りながら下りた。
ジルの眠りはよほど深いのか。ジョウが歩く揺さぶりにも、一切ぐずることがない。
「こいつ、いい神経してるぜ」
小さいながらも、頼もしく思えた。
しかし30分も歩くと身体が酷く重くなった。大量出血のツケだろう。
仕方なくジョウは休み休み進むことにした。もしここでエウーダに襲われたらひとたまりもない。
しかし元々人間を恐れているエウーダだ。再び現れないことを祈りつつ、神経だけは張り巡らして歩を重ねた。
4度目の休憩で、ジルが目を覚ます。また空腹らしかった。ジョウは休む時間を返上し、食べられそうなものを探しながら進む。朝露を溜めた大葉が茂っている場所に出た。ジョウはそれを少しずつ口に溜め、ジルに与える。
自分の乾きは一向に癒えないが、ジルだけなら充分間に合う。
さすがにめぼしい木の実はもう見つからなかった。とりあえず乾きが潤ったジルは、ぐずることなくジョウに大人しく抱かれている。だがいつ暴れ出すか分からない。大人のジョウでさえ、喉も胃もからからなのだ。
かさり、と何かが耳朶を打った。
ジョウの神経がきりりと巻き上がった。エウーダかもしれない。
やはり願いは空しくも届かなかったのか。
まずは出来るだけ逃げることが先決だ。ジルを隠せる適当な場所もなく、このままで戦う訳にはいかない。簡単にやられるつもりは毛頭ないが、相打ちは考えられる。しかしこんな森の中で、ジョウを失ってはジルも終わりだ。
走った。
しかしその足取りは、いつもに比べれば遙かに遅い。身体のキレも鈍い。貧血のツケが口惜しい。
そんなジョウの切迫感を感じたのか、ジルが突然泣き出した。
「ば、馬鹿……」
慌ててジョウはジルの口を覆う。
自分たちの居場所がエウーダに知られてしまうのはまずい。
しかし遅かった。
忍ばせるような足音だったのが、明らかに大きくなった。生い茂る雑草をかき分ける音が、だんだん迫ってくる。エウーダのあの長い腕が、ジョウの脳裏に浮かんだ。
とにかく逃げる。また方向感覚を失うかもしれない。しかしここは逃げる。ジョウは音がする方角を背にして無我夢中で走った。
「-----ジョウ!」
はたと足が止まった。聞き慣れた低い声。
「迎えに来ましたぜ! ジョウ!」
タロスだ。
するとがっくりと力が抜けた。気力だけで動いていた身体は、よろめき、その場で尻餅をついた。
「こ……こっちだ」
座り込んだ態勢でジョウは応じた。しかし喉が乾き、嗄れて、通る大声がうまく出ない。タロス、リッキー、ミミーの声も聞こえる。やがて3人の声がだんだんと離れてきた。小さく、遠くなる。
それはタロス達と行き違っている訳ではなかった。ジョウの意識が薄れていく。ジルの口元を抑えていた手が、だらりと下がった。そのままジョウは、大地にくたりと突っ伏した。
ジルが泣いた。
異変を感じ、全身を震わせて泣いた。
「こっちよ! ジルの泣き声!」
草陰の向こうでミミーが誘導する。
そしてやっと3人は合流した。
「兄貴!」
血染めのシャツにリッキーは目を剥いた。ぐったりと倒れたままのジョウ。そしてジルは泥だらけだが無傷である。
一目で、ジョウが身体を張ってジルを守ったことが分かった。