【6】
夕日が沈みかけている頃、アルフィンはエアカーを駆って家に戻った。ジルは助手席で静かな寝息を立てている。
すると家の前の通りから、人影が現れた。
はっとアルフィンが振り向く。ジョウかと思った。
だが違う。巨漢のタロスがレンタルのエアカーから降りてきた。
「お帰りなせえ」
「もしかして、待たせたかしら」
「いや、あちこちブラブラしながらでさあ。ここら辺はドライブするだけでも爽快なんで」
「……どうぞ、入って」
タロスが単身でわざわざ出向く。
遊びに、という空気でない。アルフィンも察していた。
ジルを寝室のベビーベッドに寝かしつけたあと、アルフィンは手早くコーヒーを煎れ、リビングのテーブルを挟んでタロスと向き合った。
タロスはしげしげと室内を見回る。その目を細め、にやりと笑った。
「さすがは元王女だ。こだわりのある、いい部屋だ」
「王女でなくても、これくらいはできるわ」
笑った。
だがその微笑みはすぐに消えた。
「……ジョウ、昨日の夜は大分荒れたんじゃない」
早速アルフィンから切り出した。
察しているのなら話は早い。だからタロスも包み隠さず、ジョウの様子を語った。アルフィンとどう接すればいいのか。少し混乱してやけになっていることなど。
本当はジョウ自身の言葉で、アルフィンに伝えることが大事なのだが。それを待っていては、あっという間に休暇は終わってしまう。
そしてアルフィンも自分の気持ちを語った。タロスの感想で言えば、まるっきりジョウと同じ悩みを抱えている様子だった。
「今では信じられないの。自分も、危険なクラッシャーをやってたなんて」
「かなり派手にバズーカもぶっ放してましたな」
タロスが愉快そうに笑う。
アルフィンもつられて笑った。そしてまた真顔に戻る。
「地上に降りて2年も経つと、宇宙生活の日々がとても怖く感じるわ。これも、魂が引力に引かれたってことかしら」
「ま、人間の誕生はそこからですからねえ。悪いこっちゃないと思いますが」
「価値観が、違ってきちゃったんだと思うの……」
タロスは当初、アルフィンと話し合い、必要とあらば説得しようと考えていた。だが、それは諦めた。齢を重ねただけの老人の言葉で、納められる出来事とは思えない。そう判断した。
そしてアルフィンの様子から、昔のある出来事をふと思い出す。
「ひとつ野暮な話、いいですかい?」
「ええ。なにかしら」
「実は昔、惚れた女がおりやしてね。クラッシャー時代のバードと競ったんでさあ」
「初耳だわ」
アルフィンは興味深げに身を乗り出した。
「その女の父親が、交換条件を持ち出しましてね。あっしとバード、クラッシャーを辞めた方になら娘を託すと」
タロスは少し照れくさくなったのか。
アルフィンの背後に移る、窓ガラスの景色に目線を移した。
「最初、女の父親を恨みましたねえ。……なんてクソ条件を出しやがるんだ、と」
「男性にとって一生の仕事は、天秤に乗せることもできないそうね」
ジョウもそういう男だ。
アルフィンも重々承知している。
「しかし今になって、ようやくその言葉の意味が分かりましたぜ。最初は単純に、大事な娘を守りきれねえ男にゃ、任せれねえってことかと思ってやした」
「……何が分かったの?」
タロスはコーヒーを一口含む。
そしてゆっくりと言を継いだ。
「女の父親は、同じ男として俺達のことも考えてくれてた。そういうことです」
「意味がよく分からないわ」
「……ジョウを見て、それが分かりやした」
タロスは何度も頷いた。今はもう会うこともない、ケイの父親の顔を思い浮かべながら。
家族と離れて、命を張った仕事を続ける。守りの姿勢からくる恐怖、そばにいられないもどかしさ、焦り、疎外感。これらをたっぷり味わうことになる。そして宇宙生活者と地上人との間に生まれる、どうしようもない溝。
タロスは真剣にケイを愛していた。その真っ直ぐさを見抜いた父親だからこそ、その後に待ち受ける事態も簡単に想像ができたのだろう。
そしてジョウとアルフィンは、まさにその渦中にいる。
「世間様で言やあ、結婚てのは2人の人間を一組にくくる。しかし、クラッシャーはそうはいかねえ。離ればなれの生活が常だ。頼りにしたい時、肝心な相手はそばにいない。逆に孤独でしょうな」
アルフィンはじっとタロスの言葉に耳を傾ける。
「子供ができりゃあ、生活圏の違う父親と母親。ギャップも広がるってもんでしょう」
「親子より、上司と部下の絆の方が強いわ。お義父さまとジョウも……」
「因果な稼業でさあ、クラッシャーってのは」
タロスは両の腕を組んで黙した。
そしてアルフィンがこちらを振り向くのを待つ。少し踏み入ったことを訊くためだ。
やがて、アルフィンの瞳をとらえた。
「……まだ、ジョウへの気持ちはありますかい?」
説得はできなくとも、確認だけはしておきたかった。
「ええ……。でも」
アルフィンはタロスから視線を外す。
「ジョウにはタロス達がいるわ。けどジルを最終的に守るのは、母親のあたしだけ。どうしてもジルに気持ちが傾いちゃうわね。ジョウはそこも、面白くないんでしょうけど……」
アルフィンはカップを指でもてあそぶ。
「久しぶりに会って思ったの。ジョウはジョウのままなんだって。心が父親になりきれてないの。……昨日のことも、そう。ジルがアートフラッシュをおもちゃにして、危ないところだった。けどそれはこっちの不注意なの。ジルは分からずにやってることなんだから」
タロスはじっとアルフィンの言葉を聞き入る。
両眼を閉じて。
「ジョウが変わってないのは、一緒に生活していないから。仕方のない事よ。でも分かっていても、凄くもどかしいの。<ミネルバ>にいた頃の、阿吽の呼吸でいられないの。今のジョウにはいちいち説明が必要だわ。それがこんなに、しんどいなんてね」
「確かに、手間はいりますな」
「だからと言って、ジョウをアラミスに縛り付けることはできないわ。あの人は生粋のクラッシャーだもの。それに銀河系全土は、ジョウを待ってる」
「どうすりゃいいんでしょうな。あたしも答えが出ませんぜ」
「あるわ、答えは。……ひとつだけ」
アルフィンは大きく息をつく。
「ジョウとあたし達、それぞれの人生を歩むことよ」
タロスの双眸が見開いた。
「でも、それはしたくないの。できれば、ううん、できる限り」
アルフィンは頬に両手をあて、軽くかぶりを振った。
考えたくもない。そういう仕草に見えた。
「それは、ジョウも同じでさあ」
タロスの大きな手が、ぽんとアルフィンの肩を叩いた。
お互い堂々巡りなのだ。それだけはタロスにも分かった。そしてもうひとつ収穫があった。ジョウの心の襞に引っかかっていた、ピグミー大学の助教授は無関係だと。
しかしそれをタロスの口から伝えたとしても、ジョウが素直に信じるとは思えない。すべてにおいて、自分の目で、感覚で、物事を判断するジョウだ。一番必要なのはやはり、2人がじっくりと互いの気持ちをさらけ出す時間だ。
そこでタロスは一計を案じた。
「明日、アルフィンの都合はどうですかい」
「あたしは、特別ないわ」
「でしたら久しぶりに仲間とどこかへ出かけやしょう。ついでと言っちゃなんですが、その、大学助教授も誘ってくれますかい?」
「……ライナスを?」
アルフィンの碧眼が見開く。
「もしかして、そのこともジョウは愚痴ってた?」
「ゼロとは言いませんが」
「ね、いちいち説明することが多いでしょ。そんなんじゃないのに……」
「だからといって、このままとはいかねえでさあ。ジルの情操教育にも悪影響ですぜ」
「悪影響?」
「両親の仲違いってのは、子供にとって一番よくない」
「……そうね」
しばらく考えて、アルフィンは頷いた。
そしてすぐさまリビングから離れると、キッチンの傍らにある電話に出向く。
思い立った後の行動が早い。
もうライナスとのアポイントメントがとれたのだった。
「でも、ジョウが来るかしら」
「なあに、任せてくだせえ」
「それに今日、帰ってくるかも分からないわ」
「どこにいようが、すぐ見つかる。なにせここはアラミスだ。ジョウを知らねえ奴はいねえ」
「……そうね」
アルフィンは力無く頷いた。
そして夜。
やはりジョウは帰宅しなかった。
タロスの言った通り、居所はすぐに判明したらしい。そして明日は連れて行くとの連絡が、アルフィンに入った。