【7】
その日は朝から快晴だった。
アルフィンのエアカーには、ジルとライナスが同乗する。ピグミー大学へ立ち寄り、ライナスとバーベキューセットをピックアップしたためだ。
行き先はアラミス中心地より、片道三時間はかかるウェルチー湖。いわゆるカルデラ湖だ。火山岩に囲まれているどころか、周りは鬱蒼とした森林が再生している。
この再生技術は、40年前にピグミー大学が研究テーマとして着手した結果だ。殺伐とした大地さえも、バイオ技術によって見事に豊かさを吹き返した。
「ああ、自然に帰ってきたって感じ」
レンタルのエアカーで久しぶりの長距離ドライブだった。ミミーはうんと伸びをして、深呼吸をする。空気が異常においしかった。
ウェルチー湖を提案したのはライナスだった。理由は訊かずとも、何故ここを選んだのかは誰もが分かる気がした。とても開放的になれる。心が大きくなる。そして再生した森に包まれていると、生まれ変われる気さえする。
「さ、ランチの準備は僕に任せて。みなさんは適当に散策でも楽しんでください」
ライナスはアウトドアに関しても得意分野であった。
「甘えちゃっていいのかい?」
リッキーが訊く。
「みなさんの休暇をお手伝いできる。こんなに喜ばしいことありませんよ」
「じゃあランチ期待してるぜ!」
親指を立てたリッキーは、ミミーを連れて湖畔沿いを歩き出した。
「ジョウとアルフィンも、出かけてきなせえ」
タロスが促した。
アルフィンは少しもじもじしながら、ジルを抱く。タロスと話し合ったあと一晩考えた。ジョウときちんと向き合わなければと。
それはジョウも同じだった。だからこそ、ライナス同伴という状況でもついてきた。
しかし。
ジョウの心は定まらなかった。頭では分かっていても、思うように自分を動かすことができない。今アルフィンとジルの3人だけになって、一体何を話せばいいのか。まったく懐かないジルを抱くことすら怖い。そしてアルフィンの本音を聞くのも怖かった。
「いや、俺は残る」
「ジョウ……」
タロスの声には、呆れの色が混じっていた。
「俺に構わんでくれ」
さらに念を押した。
タロスとしては首根っこを捕まえてでも、アルフィンとの時間をつくってやりたかった。だが、今無理をしても逆効果かもしれない。そう読んだ。
そして折角勇気を奮い立たせたアルフィンといえば、ジョウのその言葉で意気消沈していた。
初っぱなからつまづいてしまった。
「じゃあ、あっしとそこらをうろつきましょう」
タロスはアルフィンからジルを抱き上げる。
肩車をしてやった。ジルは2メートルを超える初めての視界に、興奮気味に喜んだ。
「おっ、恐がりもしねえ。……こりゃクラッシャーの血ですぜ」
そしてアルフィン共々、その場から離れていった。
残されたのは、バーベキューの準備をするライナスと、黙ったまま湖畔に腰を下ろすジョウだけだ。至近距離にいながらも、互いに一言も会話をしない。端から見たら異様な光景だった。
ところが、その沈黙も30分と続かなかった。
準備を終えたライナスが、ジョウの隣に突然腰を下ろしたのである。ジョウは驚いた。そして身体の位置を無意識のうちに少しずらす。
「こんな爽やかな場所で、無愛想は似合いませんよ」
「……悪かったな」
「でもまあ、原因は僕にあるんでしょう」
ライナスはいきなりど真ん中を突いてきた。
「実は僕、1年前に妻と3才の娘を亡くしました」
「え……」
唐突すぎて、ジョウはライナスの横顔を見る。
「家族旅行のリゾート惑星で。水難事故でした。遊覧船から娘が誤って落ち、それを助けようとした妻。僕も海に飛び込みました。……でも、助けられませんでした。そして昨日がその一周忌でした」
まだ話すには生々しいのか。
ライナスは時折苦悶の色を顔に浮かべた。
「自暴自棄になりましてね。もちろん後追いも。そんな時にアル……いえ、奥さんが」
「……アルフィンでいい」
ジョウなりの気遣いだった。
ライナスがジョウの方に振り向く。反射的にジョウはそっぽを向いた。
だがライナスはふっと微笑み、言を継いだ。
「……アルフィンは妻との知り合いでした。残された僕を案じてね、よくジルを連れて励ましにきてくれたんです。つまり単なる、それ以来のつき合いなんですよ」
誤解を解きたい。ライナスの気持ちが、ジョウにも届いた。
「それなら……」
「なんですか?」
「それならアルフィンも隠さず話せばいいんだ。変に勿体ぶりやがって」
「違いますよ。僕に気を遣ってくれたんです。……本当に、心優しい女性です」
ライナスの言葉をまんま信じれば、ジョウのわだかまりはひとつ消えることになる。伝わったが、受け入れた訳ではない。
ライナスは真面目すぎる。それがまた新たな不安として、ジョウの胸をざわつかせる。
夫や父親というのは、こういう人間が適している。そんな考えが浮かんだからだった。
「あなたは、アラミスでどれほど有名か自覚してますか」
いきなり話が跳んだ。
「……さあてね。所詮親父の七光りだろう」
ライナスは大きくかぶりを振った。
「随分と無関心、いえ呑気というか……」
ライナスはこちらを向こうともしないジョウに、姿勢を正す。
「赤の他人までもが、あなたの二世誕生を心待ちにする。そういう存在なんですよ、あなたは。そのプレッシャーを少し、想像してみてくれませんか」
「想像しろと言ったって……」
想像がつかない。
自然と口ごもってしまう。
「アルフィンは、たった一人でそれに耐えてきました。ジルが生まれる前も、その後も」
<ミネルバ>での生活。それは金の積まれた仕事を完璧にこなし、気心知れた仲間とだけの生活。最善を尽くした数々の結果が、名声へと姿をかえてもジョウ達が関知することではない。
煩わしい称賛や、周囲からの勝手な尊敬。<ミネルバ>にいれば完全にシャットアウトできた。自由でいられた。そういう時間はジョウにとって欠かすことができない。
その点アラミスは気楽だが、少し息が詰まる。昨夜も適当に入ったバーだというのに、すぐタロスに見つけられてしまった。
しかし宇宙へ戻れば、この絡みつく視線からも解放される。
ジョウにはそんな逃げ場があった。
だがアルフィンはそれすら失っている。
「あなたが生まれた時は、相当の出来事だったらしい。なにせ創始者の一人、クラッシャーダンの息子なんですから」
「くだらんな……」
「とは言え、当時の民衆は酔いしれたようです。そして事件が起きた。これは一部で囁かれていたことですが、ユリアさんの産後の肥立ちが悪かったのは、そのストレスらしいと……」
「なんだって……」
ジョウにとっては初めて耳にする内容だ。
ようやく、ライナスの顔をジョウはまともに見た。ライナスはジョウの視線をしっかり捕まえて、ゆっくりと言を継ぐ。
「その悲劇を繰り返さないために、ジルの誕生はセンシティブに扱われました。でも口を結んだところで、見えないプレッシャーは消せません。アルフィンはそんな環境で、あなたの子を育てているんです。……少し神経質なのも理解してやれませんか」
ジョウは何も応えなかった。
いや、言えなくなっていた。
ジョウの脳裏に蘇る、アルフィンから<ミネルバ>に送られてきたレター映像。変わらずの明るさ、変わらずの気丈さ。それを全面に映し出していた。あたし達は元気よジョウ。何も心配しないで。ジルがいれば千人力だわ。アルフィンから送られてきた、数々のメッセージ。
鵜呑みにしていた。
隠されていた本音を、何一つ見抜いてやれなかった。
そしてアラミスに戻った、この数日の自分はどうだろう。家から逃げ、酒に逃げ、アルフィンやジルからも逃げていた。
情けない。
もっと自分を叱咤したくとも、それ以外の言葉も浮かばない。どうしようもないな、俺は。自嘲気味に、ジョウの口元に嗤いがつくられた。
ライナスは隣で、じっと出方を待っていた。ややあって、ジョウは大きく息を吐く。苦笑を浮かべ、ライナスと向き合った。
「……よく分かったよ、おかげですっきりした。礼を言う」
「分かっていただけたんですか、アルフィンのことを」
ライナスの白い歯がこぼれる。
安堵。そういう表情だった。
「ああ」
ジョウはゆっくりと立ち上がった。
「今回は思い知った。俺がとんだ役に立たずだってことがさ」
「あなたが悪いという訳でもないんです」
「いや……」
ジョウはかぶりを振る。
「失格さ。潔く身を引いた方がよさそうだ」
ライナスの顔色が一変した。慌てて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 勘違いもいいところだ」
ライナスの声が、静かな湖畔に響き渡った。